さて昨日紹介した上田比呂志氏の本の内容について、どこか引っかかるところがあったので
じっくりと考えていました。
気づかいについて考える〜ディズニーと三越で学んできた日本人にしかできない「気づかい」の習慣〜
そうしましたら先ほど自分の中で理解できたので、今日はそのことを紹介します。
わたしは「気づかい」が人を不自由にする元凶と考えています。
理由としては、「気づかい」をするには「他人の目を気にすること」が少なからず必要と
考えるからです。
そんな中、上田氏の本を読んだのですが、内容としては実にしっくりとくるのです。
ですからとても違和感を感じました。上田氏の言う「気づかい」は自分と他人を幸せにします。
自分の考え方を見つめ直す良い機会なのかもしれない、と思い、じっくりと考えました。
・・・・・・。
!
そうか。上田氏の「気づかい」とはわたしの考える「気づき」と同じ感覚なのだと。
辞書においての意味を調べましょう。
気づかい:あれこれと気をつかうこと。心づかい。
気づき :そこまで見落としていたことや問題点に気づくこと。
全然違う意味ですね。
しかし上田氏の本を読むとこのように理解できます。
〜日本人には特有の感性がある。その感性を活かすことで、日本人にしか
できない「気づき」を得ることができる。人はその「気づき」を得た時に、
自然と「気づかい」ができるようになる。それが「日本人にしかできない気づかい
の習慣」である〜
これはわたしの個人的な解釈です。
でもわたし自身はしっくりきました。
要するに「気づかい」ありきで考えると不自由な生き方になるのですが、
先に「気づき」があれば―自然に―「気づかい」ができるようになるから
なんら不自由ではないのですよ、ということです。
言い換えると、日本人の特有の感性を上手く利用してライフスタイルを
磨きましょう!とわたしには感じられたということです。
「気づき」を得ることはライフスタイルを磨くことになります。
そのことで自分が自然に振る舞える「気づかい」を行なうことは
とても自由な生き方です。
自分のライフスタイル以上の「気づかい」は自分を苦しめます。
無理のない程度の「気づかい」で充分なのです。
日々ライフスタイルを磨いていけば、自分の「気づかい」の幅が
どんどん広がっていくので、より「ワクワク」できると思います。
あ、それと重要なのは「行き過ぎた気づかい」は他人の「気づき」を
奪う可能性があるので、おすすめできません。
要は「おせっかい」になってしまうのです。
ですから「気づかい」は相手に気づかれない程度に行なうことが
理想ですね。
そうすると皆が「楽」に生きることができる考えます。
どうでしたか?
さてこれからわたしは3月20日に65歳になる母親に、誕生日プレゼントを
買いに行ってきます。
なにを送ったら母親が喜ぶかを「ワクワク」しながら選んできますね!

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