では「世間」をどのように捉えるかを考える前に・・・。
前回「世間」についての異議申し立てをしましたが、
「ひろさちや」氏の本によれば、
釈迦もキリストもソクラテスも聖徳太子も臨済も親鸞も皆一様に
「世間を否定し、真の人間になれ」と言っていたというのです。
それぞれの偉人たちの詳しい内容はここでは触れませんが、
「真の人間」
になることが幸せになることだと、わたしも強く思います。
では「真の人間」とは何か?
―世間の物差しを全面的に信用せず、それから自由になって生きることが
できる人が「真の人間」である。自由というのは自分に由(よ)ることであって、
「世間の人」は世間由の人だ―
と「ひろさちや」氏は言っています。
「真の人間」は自由である。
自由に生きることは幸せだ。
どうです?しっくりきませんか?
ということは「世間の人」はとても不自由で不幸な生き方をしているわけです。
圧倒的に「世間の人」の方が多いのですけれどね。
さてここから「世間」をどのように捉えるかを考えていきましょう!
わたしは自由である「真の人間」でありたい。
しかし、わたしは「世間」によって「生きづらく」させられている。
どうしたらよいか?
こう考えますか?
ちょっと違います。
「真の人間」は自由なのですから、「生きづらさ」はないはずです。
???
でも「世間」は「真の人間」に「世間圧」をかけてきます!
その通りです。とてもたくさんかけてきます。
それでいいのです。
「ひろさちや」氏の結論はこのような内容だとわたしは捉えています。
いいですか?
「真の人間」は「世間の人」の物差しを全面的に否定します。
自分が否定した物差しで考えてきた内容で圧力をかけてこられても、
全然問題ないのです。
それが「真の人間」です。
重要なのは、
あなたは「真の人間」になりたい、
ではなくて、
すでに「真の人間」なのですよ!
ということです。あとは本人の自覚だけです。
ではあなたが「真の人間」であることを自覚できるお話を次回に
お伝えしましょう。
どうですか?「ワクワク」していますか?
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