さてタイトルにあるように、
今日は「感情的になって話す人」と「言いたいことを話せない人」についてです。
アドラーは、人生の悩みの大半は対人関係が原因である、と言っています。
そして、それを解決するためには
「良質なコミニュケーションが重要」
としています。
最近特にこのことがわたしの中でも重要視されています。
というのは、現代の日本人(年齢はあまり関係ない気がします)は、この
「良質なコミニュケーション」が苦手とわたしは感じていて、そのことで
周囲の人はもちろん、自分自身も苦しんでいるように思うのです。
対人関係の悩みを解決するにはコミニュケーションは不可欠です。
そう考えるとコミニュケーションをとる努力をする人と、自分からは積極的に
コミニュケーションをとらない人(自分の意見を言わずにじっと我慢する人などは
その典型とわたしは考えます)はどちらが良いと思いますか?
そうです。コミニュケーションをとる努力をする人です。
しかし自身のライフスタイルがしっかりしていないと、感情的になってコミニュケー
ションをとることになってしまいます。
これだと良質なコミニュケーションとは言えませんね。
でもわたしはそれでも思っていることを言わない人よりは大分マシだと考えます。
なぜなら、思っていることを言わない人は誰にも理解されることがないからです。
感情的であっても、自分の気持ちを他人に伝えることができれば、相手はその人の
気持ちを知ることができます。
アドラーの考えを知ったならば、聞く側としては相手が感情的かどうかなんて何も
困ることはないですから、感情的であろうがなかろうが相手の「メッセージ」を重要視
できます。
加えて、日本人の美徳の観点として、
〜自分の気持ちを押し殺して我慢すること〜
が好まれる風潮があることに、わたしはとても不自由を感じています。
なぜならこのことは相手に対して、
〜何も言わなくても、わたしの気持ちを察してほしい〜
というメッセージが強く感じられるからです。
これが「あうんの呼吸」だとか「日本人にしかできない気遣い」という
表現で崇められていることの裏側だと思うのです。
実はこれが現在の日本人を苦しめている根源ではないかとわたしは
考え始めています。
みなさんは「良質なコミニュケーション」を意識していますか?
<追記>
最近はメールなどで要件を伝える人が増えていると聞きます。
実際、わたしの周囲にも少なからずいます。
メールで良い内容と、メールでは良くない内容をしっかりと
「自分の頭」で考えているのであれば問題ないですが、
そうではない場合にはやはり「良質なコミニュケーション」が
できているとは言えません。
相手の顔を見て話さなければならない内容のことも、メールで
済ませていませんか?
人気ブログランキングへ
タグ:アドラー